JOINT 繋ぐ


「甘え方が分からない」

恋人にもっと甘えてほしい、と拗ねた時に返ってきた言葉。

そういえば、もっと親しいボディタッチをねだった時にも、似たような返事だった。

「慣れていないから」

申し訳なさそうに告げられた。
だけど一生懸命に応えようとする、ぎこちない手の繋ぎ方、なんとも言えない愛しい。

話を聞くと、小さい時から、両親との触れ合いが少なかったようだ。だから他人との接し方、親しい人との距離の保ち方がいまいち分からない。

確かに、通常、私たちは家庭を通じて世間との関わり方を学んでいる。いわば、育ての親の価値観を被ることになるのだが、人間性善か性悪はほぼ小学生の頃で決まっているように思う。

だから小さい時、充分な愛情を注いでもらえなかったら、愛情表現が分からないのも無理はない。

どんな言葉を言えば、思いやりに当たるのか、どうすれば相手が心から暖かくなるのか、経験したことがないから、自然に出てこない。

二人単位の小さな集まりでさえうまく溶け合えないのに、アマゾン熱帯雨林のような群れ社会はきっと、想像しても身の置き方は思いつかないはずだ。

甘えん坊であり、甘えられたい私であるが、救世主になりたい気持ちがあることは否めない。

だけど
親の愛情の欠如を逃げ道に、人生を投げやりにせず、与えることを惜しまないあなた、
あなたなりのし方をする。

誰かの価値観を脱ぎ捨てていくプロセスを成長と呼ぶが、この変容の旅をあなたとともに歩んでいけるのが最大の幸せなんだ。

「牽手」

“我不知道怎麼撒嬌”

在我嘟噥對方不夠黏我的時候,他小聲地說了這句話。

好像以前暗示說我想要更多肢體接觸時,他也做了類似回應。

“我不習慣”

他有些抱歉地說,但仍是努力試著走在街上時牽起我的手,不知道手指該往哪兒放的僵硬模樣,至今想起仍令我嘴角溢滿甜蜜。

聽他說,小時候跟家人不親,雙薪家庭之下,父母很少管他,於是他也不常撒嬌,以為這是常態的他,懂事後才發現事實不然,但他已不知道如何學會與他人相處,也不清楚和好朋友之前的距離該如何拿捏。

的確,人出生後最先接觸的社會是家庭,在那裡我們學習說話、如何和他人應對,說穿了,就是披上父母的價值觀開始前半段的人生,而這大概在學齡前就會定型。
我總覺得,家庭教育影響了我們對人性本善或本惡的看法。這想法一旦著床,便很難根除。

小時候沒有得到來自父母的愛與關懷,自然不知道如何表達這些。
什麼是體貼,何謂信任與界線,這些沒有出現在他啟蒙時,自然對他來說就是個陌生詞彙。

感情中的兩人世界都適應不良的話,又怎麼能在如亞馬遜熱帶雨林般的成人社會中悠遊?

我愛撒嬌也愛對方黏我,不可否認有「拯救」的心態。
但是,你從來不把成長環境當作逃避付出的藉口,仍是那樣盡力地相信這世界,我深深著你我的方式。

成長是逐漸脫去屬於別人的價值觀,我很幸運在這旅程中,是你陪著我。

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