Collage コラージュ


高校の美術授業で初めてコラージュをやった。手で破った時、あの特有のギザギザ白いフチが好きで楽しかった。
色紙など重ねてもいいし、空白を重視し想像力を働かせたこともある。

『ピアノを弾く二人の少女』を数々の写真で再生した同級生もいて、なぜか未だに鮮明にその作品を思い出せる。

美術の先生は、発想の自由を啓蒙してくれたように思った。点数はつけられるけど、作品の優劣ではなく、出席して作品を提出すれば全員Aだった。
途中経過に一切口を出さず、私たちの説明を聞いたらただ頷いて楽しみにしている。
そしてそれぞれの出来上がりを見た瞬間、先生の目がキラキラと開いて少女のような表情をして喜んでた。

一番好きな学科。
高校の受験戦争から癒してくれた。むしろストレスを一番いい形で発散できた。
二度とあんな創造のエナジーは生まれないかも
ピュアと極限が共存の状態

鉛筆一本でダリを模倣して描いた同級生の絵を保存したかった。スケッチはまだできるが、本人には恐らくあのような緻密をもう描けないだろう。

当時、描くのが好きな友達から教わって、わざわざ美術用具の専門店で、いろんな筆、画材を買い揃えた。才能がなくても一式を持ちたかった。店主が引き出しや後ろの倉庫から私の指名を持ってきた時、大事に使おうと心に誓った。名前だけメモしてきたので、中には初めて見たものも。
今もその道具たちは実家にちゃんとしまってある。
眺めるたびに美術に憧れた自分を思い出す。
あの色も形も大胆で奔放自由な時代の頃。

コラージュと聞いた時、とてもロマンチックと思った。
自分を好きにデザインできるから

あのモデルさんのスタイル、この雑誌のファッション、CMに出た家に住む設定、BGMはこの曲かな、パートナーはこの写真の人にしよう、いろんな奇抜でも心からの思いで織り成したレプリカのようなオリジナル人生図。どんどん重ねて貼り付けていく。

何層変わっても自分を認識できる立派な傑作だよ:)

「Collage」

高中美術課時第一次接觸到拼貼技法,手撕特有的性質,每一寸都帶著白色的、不規則的邊緣,粗糙卻極具特色。
可以不斷重疊色紙,也可以大量留白盡情發揮想像力。

同學中有人用多張照片拼貼出一幅新的『彈鋼琴的少女』,至今我仍能清楚記得那作品每個細節。

美術老師啟蒙了我們思想的自由,所想並實現的東西,沒有所謂優劣。雖然美術課需要成績,但只要乖乖出席並繳交作品的話,每個人都是A。

在構思及創作途中,老師從不插手,偶爾會靠過來問發想的起源,然後在聽完我們的說明後只是點點頭微笑。在看到成品時,老師總是一臉驚喜,笑得像少女一般,彷彿我們拿出了什麼曠世巨作!

美術是我最喜歡的學科。
它在苦悶的高三生涯中給了我極大慰藉,讓壓力用了最好的方式抒發。
現在已經很難再有那時的創作動力。
高中,純粹與極限共存在的狀態。

用一隻2B鉛筆完美模仿達利畫風的同學,我很想收藏她的那幅畫。也許還能隨手勾勒幾筆,但我想她已經畫不出來當時的細緻了吧。

當時,喜歡畫畫的同學告訴我很多專業畫具,我還特地請媽媽帶我去找位在小巷子中的美術用品社,一樣一樣買齊。當老闆從底下抽屜和後面倉庫拿出我紙上列的畫具時,我內心想著「一定要很珍惜它們」。有些我只抄了名稱,所以有不少筆具是我第一次看到。
這些用具都還好好地收藏在老家的房間內,每一次回家看到它們,都讓我想起那時嚮往美術的自己。
顏色及作風都大膽自由不設限的年紀。

「拼貼」這一詞,我總覺得浪漫,因為好似可以恣意設計‘自己’。

那位模特兒的身材、這本雜誌上的時尚、想住在這廣告中出現的家、BGM用這首歌吧、伴侶選這張照片的人⋯等等,再多天馬都能實現,這一幅出自複製卻原創的自畫像,用各種心思拼貼出的真實人生。

再多層都無所謂,每一張都是認識自己的傑作。

RICOH GR

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