FREEDOM 嗚呼、自由


最近、やたら‘自由’を耳にする。

先日仲間たちとの集まりで、一人は福沢諭吉の言葉を取り上げた。

自由在不自由中
(自由は不自由の中にあり)


その仲間は自身のバレエ経験からその真意を感じた。
舞台上自由に自分を表現するしなやかなステップ、踊りなどはすべて厳しい修行、いわば不自由の型から生まれた。

そう言えば
以前授業で好きでメモしたフレーズがある。

私は何ものでもなく、何ももっていない。光と同様に流浪の身であり、石や水のうえを滑っていく。そして何ひとつ、絶対に何ひとつ、私を阻みもしなければ、私を埋めもしない。外だ、外だ。世界のそと、過去のそと、私自身のそと。自由とは流浪である。私は自由であるように呪われているのだ。

‐‐フランス作家 ジャン ポオル・サルトル

あゝなるほど
FREEDOMはfreeではないんだ。

さらに、好きな中国語もある

歲月靜好,不過是有人為你負荊前行(注1)

(この穏やかに生活を過ごせるのは、前方に数多の茨を背負ってくれる誰かがいるから)

注1 この言葉の出自は不明だが、去年香港の反送中デモの時に台湾て見かけた。
今当たり前と思ってる平和、民主は先人たちがたくさん血を流してやっと手に入れたもの、という意味合いが含まれている。

ずっと「自由」を求めてた。
連帯的に数々の自由の関連語も好きになる。

漂浪、旅人、さすらい、無為、反抗、恣意など

でも、このような無際限も、境界線に縛られているからこそどこまでも発想できたかもしれない。
もっと具体的にいえば、両親、私を守ってくれる何者かの存在が大きな空をどんどん描いてくれたおかげで、その中を私は思いっきり飛べるのだ。

日々の生活に感謝する。
そして自由への愛は止まないが、もらうばかりにはいかない。これからは誰かの自由に一翼を担いたい。

自由とは、自力で何かを循環できることかな。

(中国語無)

Sony A7ⅱ

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