RAIN 雨

面白い企画を見た。
『日常、天気』を傘に表現するという大枠で、1920-30年代の代表的な作家三人を意識しながら、サブタイトルを「暴風」、「通り雨」、「炎天下」に分けて、三人の現代文作家にそれぞれのテーマを割り当てて書いてもらう。自分のフィルター、昔の作家さんの個性、テーマをどうやって融合し描いていくのか。
「文学の傘」というロマンチックな別名がついている。

思わず雨について考えてみた。
フォルダーを眺めていて、意外に雨の写真が少ない。雨の日、カメラを濡らしたくないから、いつも急いでカバンにしまう。

跳ね上がる一滴の雨の集合、万軍襲来のごとく、人影もない山中の湖を震撼した。
ファインダー越しに見ても、耳は無防備、私は思わず小さく震え始めた。
自然の迫力、3~4畳の練習室でバスドラムを力いっぱい踏んでも、この驚きに及ばない。鼓膜に残るエコー、低鳴が続く。

雨の日、私はやはり室内にいるのが好き。
昔は雨を青春と連想していた。雨の中を自転車を漕ぎながら家へ急ぐ姿を愛したが、今となっては風邪をひく心配しかない。

思い出せるぎりぎりの記憶、つい最近びしょ濡れになったのは、3年前の花火大会だった。


およそ3時間、川の土手に座りながら、あまり役に立たないコンビニのかっぱを着て降り続けた雨の中で花火大会を見ていた。開催を決行した区の職員さんも度胸があるもんだ。
全身に纏うものすべて濡れた。その状態で深夜の焼肉屋さんへはしご。肉を食べながら自然乾燥。
楽しかったけど、二度と経験したくないね。

家にこもって窓から雨を眺めるのがいい。
色とりどり傘の出番。ビジネス街は透明か白が多いけど。

いいえ、まとめない。
急に終わるのも大自然の姿の一つ。
大自然にピリオドを付けられないから。
またいつか雨を書きたいな。



「雨」

看到了一個有趣的文學企劃。
以「日常測候」為題,主軸分為「暴風」、「驟雨」、「酷暑」,結合民初代表作家的體裁,邀請三位現代散文作家用各自的文體描繪。 作家要如何透過自己的濾鏡,融合並詮釋雨及早期作家的個性呢?
備註了「文學之傘」這一浪漫名稱。

我也不禁想了「雨」。
瀏覽檔案夾,發現拍雨的照片好少,也許是不想弄濕鏡頭,每當飄雨時總趕緊把相機收進包包。

落下的雨滴集結成大軍壓境,轟轟薩薩,震撼了無人的山中湖泊。我將視線縮放至觀景窗逃避,但忘了毫無防備的耳朵,震耳欲聾的喧囂,身體不由自主顫抖起來。
大自然原始的魄力,即使在練習房用盡全力踏大鼓,也不及眼前的撼動。殘留在鼓膜中的回音,低頻地不停迴旋。

下雨天,我還是偏好待在家中。
以前,講到雨時我總聯想到青春,喜愛那雨中騎著腳踏車奔馳回家的身影,但現在我只擔心淋濕會感冒。
翻閱記憶,最近一次淋得落湯雞是在三年前的煙火大會。將近三小時,坐在河川旁的高台上,穿著超商買來的辛酸便利雨衣,就這樣大雨中看著絢爛的煙火綻放。主辦單位也挺有guts沒有停辦。
內衣內褲完全濕透,貼著肌膚,感受到布料的重量。我們便這個模樣走去烤肉店續攤,邊吃肉邊體驗了自然乾燥的神奇過程。
雖然是很珍貴的回憶,但說真的並不想體驗第二次。

雨天,還是從窗子眺望最美。
各色各樣的雨傘爭奇,只是商業區大部分是單調的透明或白。

以上。
是阿,沒有要作結呢!突然回歸平靜也是大自然的面貌之一。
無法給自然畫上句點。
希望以後有機會再繼續寫雨。

GR1

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