CAFÉ カフェ


なんで、コーヒーを飲むと、または、その香りに包まれると、時間の推移が遅くなると感じるのだろう。

コーヒーの匂いは私たちのDNAに潜む原始的な何かと同質なのかもしれない。だから一種ノスタルジーが分泌され、末梢神経に伝達された結果、コーヒーへの愛着が生まれた。ほぼ本能的に。

まあ、コーヒー好き以外には適用しない理論だけど。

FBで住宅街に佇むカフェを紹介する記事を読んだ。好きなフレーズがある。

一日中、時間帯によって町に映し出される人情が異なる。

知ってはいるが、気にしたことがない。

早朝、スーパーや市場へ買い物に急ぐ主婦たち(今のご時世は年代を問わずだが)
昼、ランチをちっぽけな一時間内に済ませる早食いのサラリーマンたち。
午後、少し色が濃くなった日差しが、あっという間に終わる一日を告げに窓越しに差し込んでくる。
帰途に就きはじめる疲れた人々。

忙しい毎日の中でも、店を通り過ぎた際にふいに鼻をハイジャックするコーヒーの香り。
一瞬でも世の中がスローモーションになった安堵感。
安堵を感じるのは、急ぐ生き方が不自然なのではないかと仮説を立ててみた。

カフェはゆっくり時間を遅らせる存在のように思う。
特に住宅街の巷に棲むカフェ。
大都会に行く儀式感も時に心を躍らせるが、生活に溶け込んだ「日常」のほうが、魂的にしっくりくる。
「あ、おはよう」と思考を通さず挨拶が出るような関係。

でも面白いことに、日常的な存在の中は、非日常的な時空。

バリスタと店員があらゆる小道具を駆使し、最上級のパラレルワールドを築き上げる。
たまに、本当にたまに、雑踏のあまりに、内容が聞き取れない雑談や、店員たちの不機嫌な声とバタバタする足音で現実に引き戻されるが、大半は何かを懐かしむことができる。

カラオケや居酒屋と違って、匂いは持って帰られない。
服にも、肌にも、髪の毛にもつかない。
この一過性もカフェを崇拝する所以かな。

感染防止の対策として、テーブル数を減らしたり、お客さん同士の間隔を拡げたりしているところもある。
ゆとりができた空間は、カフェの癒し効果を高めたように思う。

空気に漂っているコーヒーの香り、貪欲に吸い込む。
今日も精神の糧をゲットし、脳内物質の発狂を落ち着かせた。

「幸福感」の誕生だ。



「咖啡廳」

有時會疑惑,為什麼啜飲一口咖啡,會讓人覺得時間走慢了呢?

咖啡的香氣,也許與深藏在DNA內部的某種訊息同頻,於是產生一種近似鄉愁的訊號,傳遞於末梢神經,對咖啡的愛戀也就油然而生,幾乎是出於本能的。
但這理論只屬於咖啡愛好者。

在FB看到一篇介紹隱身在小巷中咖啡廳的文章,其中有一段文字我很喜歡。

它說,「每個時刻的人情都是不同的」。

想想,確實是這樣,但從來沒有認真觀察過。

早晨,是趕往菜市場或超市的主婦們,晚餐內容從來都是隨機。
中午,是不懂細嚼慢嚥的上班族,要在那緊迫的一小時內吃完中餐。
傍晚,是夕陽餘暉投射出每一位將返家的疲憊身影。

庸庸碌碌的每一天,即使是這樣,經過咖啡廳時吸進的香氣,讓看出去的世界彷彿慢動作一般,頓時感到安心。會覺得安心,是因為這繁忙的生活是不自然的嗎?我擅自的小小假設。

咖啡廳像是緩慢時間的存在,特別是棲息在小巷弄之間的店。雖然進去大城市時的那種儀式感也讓人雀躍,但這種融於生活的「日常」卻更有生命的溫度,像那種可以不假思索地說出早安的關係。

有趣的是,日常的裡面,卻是一個非日常的時空。

咖啡師和店員用盡各種巧思,營造出了一個最高等級的平行世界。偶爾,很偶爾,因為擁擠的人潮,會被接近雜音的客人交談聲、店員不耐煩的語氣及急躁的腳步而拉回現實,但大部分都能好好享受一會兒逃離的氛圍。

和卡拉OK及居酒屋不同,咖啡廳的味道帶不回家,不論是衣服、肌膚或髮梢上。也許是這短暫性,讓人們如此崇拜咖啡。

為了防止疫情擴散,有些咖啡廳減少了桌椅數,或是拉開客人之間的間距。變得寬敞的店內,提升了咖啡廳的療癒效果。

空氣裡洋溢的咖啡香氣,貪婪地急促呼吸,今日也入手了精神糧食,隨著鼻腔縈繞,鎮壓住發狂的腦內物質,於是分泌出了新的結構。

「幸福感」的誕生。

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