SMELL 匂い


人生のどの段階においても
その時期を代表するBGMは1曲くらいあるはず
過ごしてきた歳月が
約5分間の歌詞とメロディに凝縮される

偶然入ったカフェ、通り過ぎた古着屋さん
ふいにあの懐かしい音楽、時にイントロだけでも
耳に入ると
自然とその頃の映像が流れてくる

でも今回は音楽の話ではない
(ここは音楽に詳しい方に譲ります)

最近スマホでラジオを聴くようになって
先日、バリスタのインタビューが放送された

自分の店を持つ前に
住宅地にあるアパートの2階
家の台所でひたすら珈琲豆の焙煎に取り組んでいたら
その匂いが嫌いだ、と
隣のおばさんからクレームを受けたらしい

あり得なくない?
私が聞いた時のとっさの反応だった

あの香ばしい珈琲豆だよ
一日中浸かってもいいくらい
珈琲の香り
私にとって
癒し効果がある

ホストは自分なりに
なぜクレームを受けたのかを解いてみた

その地域はどちらかというと下町寄りで
19世紀後半にこの土地に入ってきた珈琲より
もっと昔から生活に根付いた
お茶や漢方材のほうが馴染まれているから

この説明を聞いた瞬間
電流が体中を走った
何か記憶中の断片同士が繋がり始め
共鳴し合ったサインだ

音楽と同じく
ある匂いにもそれぞれ特別な記憶があるように思えた

おばあちゃん家の匂い
お墓参りの日に、おばあちゃんは朝早くからご先祖様を祭るための春巻きの具を調理し、長方形のテーブルが埋もれるくらいたくさんのおかずを用意した。大人たちは急いで春巻を作っているが、その隙間を狙って野菜嫌いだった私はいつも卵と肉、ピーナッツ粉しか入っていない特製春巻きを作る。正常サイズに比べて、小さくて細くて可愛い。
おかずの数は、おばあちゃんの体力と反比例で年々減っていくのが寂しい。そしてついにこの習慣がなくなり、母が店から買ってくるようになった。

学校の匂い
日差しを照らした芝生と若い生命たちに満ち溢れる空間なのに、窮屈感に喘ぎ、自由を切実に渇望しながら小学校の校門を眺める自分

市場の匂い
毎週末、母と市場に行くのが楽しみだった。鮮魚の生臭さ、多種多様な惣菜、葱は無料でもらえるもの、鶏の悲鳴と目の前に置かれている鶏肉、いつも濡れている床、血と水が混じり合っている。渡されたお釣りは必ずしわくちゃで結構汚い。だから母はあまり財布にしまいたくなくて、いつもポケットに入れていた。

病院の匂い
採血、注射が嫌いで、小学校で親のサインを真似て注射不要をチェックした自分を思い出す。教員室の窓から担任の先生をこっそりのぞいて、バレないかなとひやひやしていた。
(よい子はマネしないでください)

お寺の匂い
高校、大学受験時期、線香の煙がもうもうと立ち込める室内。火傷しないように、階段の上り下りの際、線香を頭らへんまで上げる信者たち。金紙を燃やしている時の熱気と暑さでふらつきそうになる。お寺の前の広場にいる浮浪者、母はいつも小銭を事前に用意して「渡してきて」、と私に言いつける

海辺の匂い
何歳の頃かな、姉と砂辺で遊んでいた。押し寄せてくる波、貝殻探し、乾いても足指と服に絡む砂、赤く黒く日焼けた肌。写真を撮られるのが大好きな時期でいつも満面の笑顔。家に戻ると二人の水着を赤い桶に浸しておく景色も鮮明だった。なぜ水着の材質はほかの服と違うのかと、ぼんやり思いながら洗っていた。

父のシャツに付いている石鹸の匂い
綺麗好きの父は仕事から帰ったら、浴室で襟を石鹸水につける習慣があった。そして夕飯後今度はブラシでしゃっしゃっと懸命に洗う。ベランダの竿に干されたシャツの白い襟をいつも満足げに眺めていたな。

◇台湾特有のパフューム「明星花露水」の匂い
ごめん、この匂いを嗅ぐ瞬間、トイレがアソシエーションの結果となる。学校では、なぜか分からないけれど、明星花露水を芳香剤として使われているから

マックの匂い
小さい時から、何かを達成した時のご褒美に、チキンナゲットを食べてきた。マックを通り過ぎて、中からあの独特な匂いが漏れてきた時、タスクを終えた安堵感からくる笑顔が蘇る。

パン屋さんの匂い
家族みんなそれぞれ好きなパンが違うため、パン屋さんに行くといつも大量に買ってしまう我が家。そしてすでにご飯を食べたにもかかわらず、母がパンを買って来たらみんなすぐビニール袋を漁り、好きなパンをゲットしたらパクパク頬張る。脳は、自動的にパン屋の匂いを幸福感の代名詞に置き換えている様子。

あの人が使っていた香水
世界中、あの人しかいない生活。愛のために狂っていた頃。親から逃げるために行った町、夜の海を眺め、あの人は遠く明かりを灯している漁船と港を2人の関係に喩え、この瞬間を綺麗な詩にしてくれた。ある意味私の人生軌道を変えた人。どのくらい縁が深いのかな、あの確率数%にも満たない再会の場面。涙とともに強く印象に残った

あゝ書き切れないほど
私も立派に歳月を過ごしてきた

記憶のワンシーンには
音とともに
連想できる匂い、香りもついているのではないかな

珈琲豆の香りが嫌いと言ってきたおばさん
慣れ親しんだ既定の生活、もしくは記憶が狂わされた不安を覚えたかもしれない

珈琲豆の香りに囲まれたLIFE
ちょっと羨ましいな

でもお茶や漢方材のの匂いも、こよなく愛する
台湾のコンビニに漂うあの八角の匂い
どこから来ているのか
もし機会があれば
探ってみてください

(みんな苦手と言っているけど)



「味道」

人生的每個時期
總會有一首BGM作襯
把當時所有的喜怒哀樂、悲歡離合
濃縮進大約5分鐘的歌詞或旋律裡

偶然踏入的咖啡廳
或是不經意路過的二手衣店
當那首歌響起
就算有時僅是前奏
也能立刻讓人回到那段被這首歌烙印的時光

但我這次不講音樂
(這主題留給熟悉音樂的朋友聊)

最近迷上聽廣播
前幾天聽到一則訪問咖啡師的內容

在有自己的店面之前
那位咖啡師每天都在自家廚房裡烘培咖啡豆
他的家坐落於某住宅區裡的公寓二樓
隨著知名度提升,每天烘的量也增多
某天鄰居來了抗議
說不喜歡這烘豆的味道

竟然有人不喜歡咖啡豆的香?

我腦中只有這個疑問
如果可能,多想一整天泡在咖啡香裡
對我而言
咖啡的香氣帶著療癒

主持人試著解釋為何鄰居會抱怨這事
他說
那住宅區屬於舊部落
生活在那的人們
相較於19世紀後半才傳進台灣的咖啡
更熟悉從小聞慣的茶香及中藥材的味道

聽聞此
覺得有道閃電劃過腦海
這是每個知識斷片連結並開始共鳴的徵兆

就像每段時期一定有首BGM一般
味道
也反映了生活中某段特定的回憶

阿嬤家的味道
每逢清明節,阿嬤總會一大早就起來準備包春捲用的食材,長方形的桌子上擺滿了數十種餡料,非常豐盛。大人們緊接著開始包春捲。小時候討厭吃蔬菜的我就會趁著空隙,偷偷包幾根只有蛋絲和肉、花生粉的春捲,和普通尺寸比起來十分陽春可愛。
餡料的數量,隨著阿嬤體力的下降而慢慢減少,終於在十幾年前這習慣消失了,改成買現成的春捲回來祭拜祖先。

學校的味道
越過綠蔭盎然的草皮和旺盛生命交錯的校園,我只愣愣地望著校門口,期待放學的那一瞬間,逃離這令我窒息的空間。

菜市場的味道
小時候每到週末,我最期待的就是和媽媽去逛菜市場。黑壓壓的構圖下,五花八門的攤販,鮮魚特有的腥味飄盪。多到數不清的家常小菜,趕著蒼蠅的裝置。蔥是免費附贈的東西。雞的哀號和調味好的雞肉呈現出的違和,與總是溼答答的地板,血水和清掃水混在一起,又帶出一股不知名的味道沖進鼻子。找錢的鈔票總是皺巴巴且帶著污漬,所以媽媽也不愛收進皮夾,拿到就塞進口袋裡。

醫院的味道
怕痛的我從小就討厭打針和抽血。小學時有次模仿媽媽的簽名,勾選了不須接種疫苗的選項。繳回單子後的不安,從窗戶偷看職員室內的班導有沒有發現異樣,仍能回想起當時心臟大力的跳動聲及緊張感。
(好孩子不要學)

寺廟的味道
考高中及大學時候,媽媽都會帶我到孔子廟拜拜。那是考生與家長充斥的季節,人手三支香都能讓寺廟內白煙繚繞,那香味令人安心。上下樓梯時大家很有默契地把香高舉到頭頂,防止燙傷。而燒金紙時,在火爐的熱氣和高溫天氣的挾持下,總讓人有些暈眩。媽媽會事先準備不少零錢,讓我拿去給聚集在寺廟廣場前的人們。

大海的味道
那是幾歲的時候?和姐姐在沙灘上玩耍。靠近又遠離的海浪,尋找沒有缺角的貝殼,附著在腳趾縫隙和衣服上的碎沙,曬到紅通通的皮膚。當時好愛拍照,看到照相機時總是自動笑臉常開。回家後將泳衣浸到紅色水桶裡的景象也很深刻,當時邊洗還邊想著,為什麼泳衣材質和其他衣服不同。

爸爸襯衫的肥皂味
愛乾淨的爸爸每次工作回家後,都是先進浴室把襯衫領子泡進肥皂水裡。而吃完晚餐後才會走進去用小刷子開始清洗。記得爸爸總會一臉滿足地看著掛在陽台洗衣竿上的白襯衫。

◇台灣獨家明星花露水的味道
抱歉,想到這個味道,我第一個聯想的就是廁所。學校不知道為什麼,總把花露水拿來當作廁所芳香劑使用。

麥當勞的味道
從小每當考了好成績,或是完成什麼事時,媽媽就會買麥克雞塊給我當獎勵。於是每當經過麥當勞,裡頭的味道隨著開闔的門傳出時,都會下意識重現目標完成後那鬆一口氣的感覺,以及因為吃到雞塊而覺得人生幸福的心情。

麵包店的味道
我們家每個人喜愛的麵包口味都不盡相同,於是為了滿足每個人,每次去麵包店總會買一大堆回來。不管有沒有吃過飯,在看到媽媽進門後手中拎著麵包店的袋子時,我們都會蜂擁而上,從裡頭找出自己喜歡的麵包,然後津津有味地開動。大腦似乎已經自動將麵包店轉變為幸福的代名詞。

那人身上的香水味
全世界只有她的生活,那是段為愛瘋魔的日子。為了躲避家人搜索,我們連夜搭車到鄰縣,夜晚坐在沙灘上看海,她將遠方漁船和港口比做我們的關係,並做成了一首美麗的詩送我。在某種程度上,她改變了我的人生軌道。我們之間的緣分有多深?從那機率渺小的再會來看可窺一二。連同眼淚一起深深刻印在我記憶中。

還有好多個生活片段值得書寫
原來不知不覺中
我也走過了那麼多個日子

記憶中的每一景
除了音樂
還有味道一同註記

那位不喜歡咖啡豆香的鄰居
也許是感到習慣的生活模式被侵犯
或是熟悉的記憶被攪亂
於是乎下意識地出現排斥現象也說不定

好羨慕被咖啡香圍繞的生活呀
但我也深愛著茶香和中藥材的味道

台灣便利超商中洋溢著的八角味
有機會的話請務必去觀察那是從哪裡傳出來的

(但很多人都不喜歡那味呢!)

Sony A7ⅱ

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