OVER THE FLOWING STREAM 小橋流水


先週末
友人のおかげで
久しぶりに家を出て小旅行に行ってきた

バイクでのドライブが一番気持ちよく
個人的に大好きな季節
後ろ席でぼうーとしながら
先日聞いた話を反芻した

天井のない、開放的な場所に行けば
人間の思考視野はぐっと高くなる

これに加えて
私は移動も好き
歩いても
電車に乗っても
このようにバイク、車にのせてもらっても
動いているものがあるから気づく内なる静寂

万物流転
果てしない広さ
一個人の小ささゆえの謙虚
自分に立ち返って細い声をはじめて聞き取れる

狭い部屋にいる時より
意識はどこまでも自由に快速に
あちこち飛んでいっている

周りの世界が生きてくるような錯覚が
私の淀んだ頭を呼び覚ます
沈殿していたダストが風によって空中に舞い上がっていくように

そんなことを思いながら
二人とも
流れていく道中の景色に
驚嘆した

秋の景色
先入観の金黄色の実りとは別に
秋晴れの日差しに反射して
艶やか青々とした緑の畑風景もある!

これで畑を有効利用しているんだね
友人が言った

休養も大事だけど
土壌のなかの世界も
絶えず循環しないと
うまく根や種を育て
栄養水分を運搬できる空間にならないのね
季節と土の性質に合わせた栽培
農家さんの知恵と工夫に感心する

夏のような田舎風景を眺めながら
走り続ける
やがて目的地
鬼怒川の下流
もう少しで利根川と合流するところに辿り着く

おっと
二人とも安心した
おなじみの秋シーンだから

鬼怒川上流の気魄を目にしたことがあるから
この平和との対比になぜか心がうるっときた

奥深い侘び寂びをあまりにも
美しく静かに
余計な装飾もなく
表している

とっさにこの詩を思いついた
今回のタイトルでもある

高校時代で暗記をしていたかいもあって
秘かに記憶の中に
躍り出す日を狙っていたのかな

枯藤老樹昏鴉,
小橋流水人家,
古道西風瘦馬。
夕陽西下,斷腸人在天涯。

秋が出ていないのに
秋を感じる
この情景、詩人の造詣に心酔する

流離う孤独な旅人の姿が
私の中のノスタルジーを代弁した

文字を通じて
時代を超えて
2020年10月に日本にいる一少女を救った



開放
抽象
自由
循環
感謝
仲間
互助
を味わった豊かな週末

いつも素敵な場所へ連れて行ってくれる
心の友 大事な家族
ありがとう

カメラとスマホの写真両方を掲載する
二枚目は友人が撮ったもの



「小橋流水」

上周末
感謝友人的陪伴
讓我得以體驗一日很輕的小旅行

秋季,是騎車兜風最舒服的時節
如往常,我坐在後座放空
想著前幾天聽到的話

人只要到了遼闊的場所
少了天花板的壓抑
思考及眼界都會自動提升

萬物流轉著
無垠的寬廣
思及個人的渺小而湧出的謙虛
終於有餘裕傾聽真我細小的聲音

意識比待在狹窄的房間時自由
天馬行空
急速地奔來奔去

移動對我而言也有同樣的效果
不論是走路還是搭車
振動共鳴,引出了內心的寧靜

周圍的世界彷彿活了起來
喚醒我淤塞的頭腦
就像風兒捲起了路面上的塵埃
旋轉似地飛舞升空

思緒肆意狂想的同時
路途中的景色也吸引了我與友人


總先入為主地設想一片金黃色稻穗
但映入眼底的
卻是秋高氣爽的晴空之下
閃閃發著光的綠油油高麗菜田

輪替耕種
友人說這是在善用農地

休養固然重要
但土壤內的世界
也需要生生不息
循環之間
配置出最佳的路線來搬運各種養分水源
讓種子得以生根鞏固基礎

依據季節和土壤質地來栽種
好佩服農家的智慧與苦心

邊欣賞恍若夏季的田園風景
我們繼續奔馳在林間小道上

終於抵達了目的地
鬼怒川的下游
原來鬼怒川最終是匯流進入利根川
心中升起莫名感動
因為我看過鬼怒川上游的磅礡
沒想到下游是這般祥和


鬆了一口氣
眼前是熟悉的秋日風光

這一幕
沒有華麗的裝飾
卻將博大精深的寂靜滄桑表現得淋漓盡致

我馬上想到了這首詞
這次文章的名字

好險高中有認真背課文
經典詩詞一直躲在記憶中
等著露臉的一天

枯藤老樹昏鴉,
小橋流水人家,
古道西風瘦馬。
夕陽西下,斷腸人在天涯。

沒有秋字
卻散發著無限秋意
我陶醉在詩人刻劃出的情景裡

流離失所的旅人
代為述說了我內心的鄉愁

透過文字
飛越時空
這首詞
撫慰了一位2020年10月身在日本的少女



開闊
抽象
自由
循環
感謝
夥伴
互助

這周末充實又豐富

我重要的朋友兼家人
謝謝妳帶我看遍好多美麗的風景

附上用手機及相機拍的照片
第二張為友人所攝

Sony A7ⅱ

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