OUTSIDE 外の世界へ


時には、もう生きるのは嫌と思ったりする。拘束されて誰かが創り出した世界で呼吸する。時計の回し方はどうも標準より遅い。
心は年齢より何倍もの歳月を過ごしたかのような疲れを感じる。

それは、自分を生きていないからだ。

教育だの、社会状況だの、両親の価値観だの、外のせいにしてしまうやり方も窮屈になってくる。

自分が人生の舵を虚構の自動ルートに委ねてしまった。幸せを目的地に。

探して、自分の足元にあるパターン、と気づいた。

朝の探し物が、ここ数日の気づきを形付けてくれる。
手にすでに必要なものを持っている。

かっこよく美しく生きよう、囲まれたフェンスの外は、想像を超える広さなんだ。

「向外」

偶爾會覺得活著好累,被束縛在一個許多不認識的人建構交疊出的世界裡,呼吸也有模版。
秒針分針的速度像是被人調慢,心疲憊地像是活了年齡好幾倍的時間。

活著,用著別人的規則。

是教育的錯、是那時大環境和父母價值觀的錯。推託責任似乎也只能帶來短暫的解脫,無法真正解套這個迷局。

我們都把人生的舵寄託在一種集體虛構裡,以為它會導向幸福。

汲汲營營,奔波勞碌,原來所追求的就在身邊。到底是要經歷過了才能理解這個道理。

早上在家找東西的小經驗,具體化了這幾天的感受。
伸手可及之處就已經擁有了所需要的東西。

鐵絲網外的世界,超乎想像的遼闊,試著,一小步一小步的,暢快伸展原始的美麗。

Sony A7ⅱ

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