SCHOOL TIMETABLE 五限

眩しい稲穂の如き秋芒


時限

遠い学生時代に毎日聞く言葉だった
朝は何時限あるのかさえ忘れた
3か4かな
昼休み明け、文系組の午後は2、3コマしかなくて、午後4時にもう家に帰られる
理系の人たちは18時まで授業があるが、当時周りの大人たちは、その2時間分の大変さは今に役立つ、と励ましている
受験でより有利、より選択肢が多いから

文系は逃げ道と強く思ってしまった

昼休みの話をしよう
昼は1時間半で強制昼寝付きだった 
1時間のランチタイムプラス30分間の昼寝

言うと羨ましがられる昼寝タイムだが、外でしかも座る体勢で寝られない私にとっては苦痛でしかない
小中高の12年間、約86,400分間、よく耐えてきた!

強制的だから、昼寝のベルが鳴ると、学校全体が一気に静まり返り、日差しをカーテンでシャットダウン、教室内は暗い空間になる
廊下を巡回する教官や違反を取り締まる生徒会の人たちの足音のみ響く
カーテンの隙間から覗かれる
起きていると注意される
監視されている
抑圧のプレッシャー
学校という名の監獄

そこで当然のように、特権が生まれる

特権は、成績のいい人たちにだけ与えられる
基準ははっきり覚えていないが、たしか成績がクラストップの人だったと思う
とにかく選ばれた人たちは教室内で昼寝しなくてもよくて、その間図書館に行くことが許される
本を読んだり、テストの復習をしたり、30分の間「自由」を与えてもらえる

今思うと少ない時間だが、当時の私にとって物理的な体感より、精神面の意味が大きかった
受験競争から、この社会から、大人のルールから解放されて自由になりたいのだ

この自由も体制の下の産物とは気づかなかった

高校の成績は中だったから、昼休みに図書館に行ったことがなかったが、中学校の時は割とよく行けていた
ただある日、昼休み中節電のためほとんど電気が消され、薄暗くなった図書館に一人いた時、何をされたのか忘れたが―もしかして何もなかったかもしれない―その日以来館長にすごく嫌悪感を抱くようになり、行く特権を持っても行かなくなった

大学では一年間だけ、珍しい時限の組み合わせに出くわした
最初の授業が朝8時、最後の授業は20時、終わった時はもう21時半。朝昼晩の三食は全部学食で、大学生の中では「地獄時間割」と呼ばれる組み合わせだ。両方とも必須科目だから、サボる訳にはいかない

ただ不思議なことに、あまり大学時代の記憶がない私でも
この「早8晩8」については楽しい印象を持っている
具体的に何をやっていたのかも言えない曖昧さでも
授業の長い合間に映像室で何本か映画を観たのが楽しかったのか、川沿いの夜の校庭がより一層綺麗に見えたからか、みんなと最終の学校バスに急いで乗ったのが面白かったのか、空いた小腹に定番の揚げ物を食べて帰ったからなのか
この健康生活に程遠い1年間が苦ではない
数少ない味わうことができる思い出だった

時限に縛られる窮屈と枯渇はもう味わいたくないが
ちょっと懐かしく記憶を旅ってきた
生活が時間割にあてがわれてもがいて自由を求めていた頃
だからこそ今のマイペースのありがたさを知った
大人になったことも、そう悪くない



「課表」

課表

這是久到無法第一時間說出精準年代的過去常用的字
早上有幾節課也不可考
大概3到4節
午休過後,社會組的班級下午只有兩三堂課,大概16點左右就可以回家
而自然組的人必須上到18點

當時周圍的大人們總鼓勵著,說這兩小時的辛苦會有回報
在指考上、在選擇未來上會更有利

社會組似乎變成一種逃避
大人的話讓我不禁這麼想

說一下學生時期的午休吧

含睡午覺的時間,午休前後共1個半小時
12點到13點吃中餐,13點開始30分鐘的午睡時間

每當我說出學校午休有附午睡時,日本友人總露出一臉欣羨表情
但對於在外頭用坐姿無法入睡的我來說,這30分鐘靜止不動的時間比什麼都難熬
國小國中高中的12年教育,粗算86,400分鐘的苦行,還真忍過來了!

學校的午睡是強制的,當13點鐘聲響後,坐在窗邊的同學會俐落地沙—地一把拉上窗簾,遮蔽外頭的日正當中,教室內瞬間一片灰暗,四周彷彿誰按了靜音,笑鬧聲消逝,全校陷入寂靜
只剩走廊上突兀的巡邏教官及糾察隊的腳步聲,由遠而近再走遠
他們會從窗簾縫隙中窺探是否有違規不睡覺的人然後予以警告
被監視的壓抑
讓這無法活動的30分鐘更加痛苦

每種制度下總有特權,午睡當然不例外
當時特權就給了成績優秀的人
我不記得評選基準,但似乎是全班成績第一的人有這個資格。他們可以在午睡時間前往圖書館,看書或是複習考試內容等,總之,被賦予了30分鐘的「自由」

現在想想是很少的時間,但對當時的我來說,比起物理上的時間感受,更多的是精神層面的意義。藉由獲得30分鐘的自由,好像就代表我從考試競爭、社會期待、大人規則當中解脫

縱使當時的我沒法注意到這個「自由」也是體制下的產物

高中成績中等,所以我從沒在午休時間去過圖書館,但在國中時期還滿常去的。只是在某天過後,即使我擁有特權,也不再使用了
當時為了省電,圖書館會在午休時間關掉大部分的電燈。那一天我一如往常地待在有些昏暗的圖書室內看書,其實也不記得詳細狀況,可能什麼都沒發生。只是從那一天後我對館長便有著強烈的厭惡感,便不再於午休時間去人不多的圖書館

大三時碰過相當奇妙的課表

第一節課是早上8點,最後一節是晚上8點,上完課都晚上9點半了。三餐都在學校餐廳內解決。這個組合在大學生之間被稱為「地獄課表」。兩堂都是必修,所以也無法翹課

不可思議的是,對大學四年沒什麼記憶的我卻能斷定地說這個「早8晚8」是有趣的
雖然我也無法具體描述當時一天內到底做了什麼,也許是因為新設的影像室讓我可以在漫長的等待時間內免費看很多部電影、也許是晚上靠溪邊的校園很浪漫、也許是和大家一起搭末班學校公車到捷運站的那段路程很歡樂、也許是肚子餓了買雞排當消夜的滿足感讓我回味……
說不上健康生活的那一年,卻是我少少的值得回味的學生記憶之一

照表操課的生活枯竭了心靈
越被束縛越強烈渴望自由
於是明白了現在的隨性有多珍貴
當然也許只是投入另一個更大的、看不見形體的組織裡
但是成為大人,似乎也不是那麼壞的事

Sony A7ⅱ

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