ME 自己紹介
ふと以前、交友サイトに載せた友達募集の投稿を思い出した。
その中に、印象に残ったワードは、
「ぽっちゃり」
太っている自分をカモフラージュし、少しでも相手が実際私と会った時のがっかり度を減らしたかった。
今まで深く考えたことがなかった。
昨日また同僚との会話に、自分の体型に触れる機会があって、とっさにぽっちゃりを使った自分に気付いた。
あれ、そういえば、
なぜ自己紹介なのに、自分の欠点を伝えてしまうのかな。
欠点を先に伝えることは、ファーストフード的な関係を求める現代社会に合うやり方で、合わない人をふるい落すためのように思う。
だけど、欠点って本当に欠点なのか?
ぽっちゃり
メンヘラ
外見普通
自分への認識は人を介してでしかできない。
小さい時からデブと笑われてきた。
それが最初の自己像なんだ。
他人のフィルターを通して描かれてきた自画像は、欠点しかないように見える。
だから自己紹介の時につい、ほぼ無意識的に入れてしまった。
あれがワタシなんだ。
これはこの世界のやり方だから従わざるを得ない。引き算から出会いを絞る。
白紙のお互いを知るって
怖いしリスクも高い
心を開いたのに、最後やっぱり合わないと判明。
その虚しさは、クラウドで自分の欠点を出力するよりは辛いであろう。
年齢とともに、人を知る期間をできるだけ短縮したい気持ちが影響してるかも。
すぐに理解されたい
これ以上傷つきたくない
かといってそのために、自己紹介に欠点を書くのは、ちょっと違和感を感じる。
この傾向は、ほかの人の投稿に返事した時にも出てくる。
自己を表すキーワードに必ずマイナスな言葉が入る。
最近のSNSサイトで見かけた恋人・友達募集の投稿も、やはりスラッシュを使って欠点を先に羅列。
投稿を見た私もそれで合う、合わないと判断してる。
言葉も、顔も、何も交わさなかったのに。
私を述べる上、
ほかの表現方法はないのかな
心のモヤモヤを払拭できない。
★
「自介」
突然想起10年前自己在徵友版上的文章。
裡頭我用了一個詞形容自己,
「肉肉的」
比起說「胖」,就好比會穿寬鬆衣服來遮肚子一樣,在文字世界裡,我使用不同詞彙來模糊真相,試著降低對方見面時的失望。
瞧,「肉肉的」,是不是帶點可愛?
對於這個形容,我從沒有細想過。只是昨天與同事對話中,剛好講到自己體型,脫口而出的就是「肉肉的」一詞。
此時我才發現,為什麼在介紹自己時,需要先講出自己的缺點呢?
的確,先列出自己的缺陷,可以防止不適合的人進來搗亂,也更符合追求速食關係的現代社會。
但是,缺點真的是缺點嗎?
「肉肉的」
「憂鬱症」
「長相平凡」
我們都是透過他人在認識自己。
從小累積的筆觸,連接描繪出來的自畫像全套用著外界的濾鏡。
每一劃好像都是缺點。
小學六年級,同學取笑我阿肥,那是第一個自我成像。
於是在後來的自介中,幾乎是下意識的,總把這些形容放進去,這似乎是世界運作的模式,用減法去淘汰相遇。
從白紙開始,對現代人來說,可能不符合投資報酬率。心房都打開了最後只換來一句個性不合。
這種落空的感覺,也許遠比躲在螢幕後面敲出自己缺點來得難受。
隨著年齡增長,我們越來越不喜歡花太多時間在了解一個人。
即便是如此,我還是對以缺點為主的自介抱持疑惑。
但我仍不自覺就這樣敘述了自己,在回應別人投稿時也是。
看了一下最近交友版的文章,這個趨勢依舊,只是進化成用斜槓來羅列自己的不完美。
而我竟也被牽著走,對一個素未蒙面的人,憑藉著隻字片語來判斷合不合適。
關於我,
沒有其他表達方法了嗎?
心裡喧囂不已。
Sony A7ⅱ