DAD’S EVERYWEEKEND CLIMBING 父の山登り



タイトルを悩んだ。
たくさんの要素を思いついた。

昨日、珍しく父からラインが来た。開いてみると、どうやら山登り中に写真の中の鳥と出会って、あまりにも綺麗なので、撮ってシェアしたかったらしい。

鳥に疎い我が家だから、「可愛い~」、「お腹の色が違うね」、「長い尾羽を嘴と勘違いしちゃったー」って話題終了。
誰一人追究しなった。

この写真を見たときに、清らか自然のエネルギーを感じた。
小さい時に、毎週末父と山登りに行っていた頃が甦った。

毎週末の山登りが楽しくて仕方なく、平日寝坊するのに、山登りの日だけ早く起きて、父と一緒に朝一出発して、1時間半ぐらい登ったら、いつも決まったスポットで休憩する。
登山客のために、おそらく山の管理者が設置してくれた無料の飲水機、冷たい麦茶か紅茶を飲みながら、来る途中で買ったおにぎりを食べる。山登り中のおにぎりはなぜかとてもおいしく感じる。

そこから一気に山頂へ。景色が開けて空気が澄んでいる。遮るものなどなく、爽やかな風を贅沢に全身で味わえるひと時。
父は「リフレッシュしたでしょ?」と言った。子供心はリフレッシュの意味など知らないが、当時父の気持ちを、仕事し始めた今、分かるような気がする。

大体昼ごろに家に戻って、シャワーを浴びてから、今度はおいしい母の手料理をいただく。

正直、父との思い出は山登りくらいしかない。仕事で多忙だったから、顔を合わせずに過ごす日もあった。だから昔の写真を見てみると、あまりツーショットがない。

何年か前の帰省時、久しぶりにまた父と山登りに行った。運動の習慣がない体は重くて重くて、以前のスピードがない。一方、父は記憶通りの速度を保ちながら、だいぶ進んでから、振り向いて私を待つ。父の顔にいつものペースが乱されるイライラなどない。あ、私を待ちながら、ポケモンGOを遊んでいるからか。
同じ山で同じ時間帯に、同じ内容の朝ご飯を食べながら休憩する。
山の空気も変わっていない。登山客とのふれあいも相変わらず。

唯一変わったのが、二人の会話。

「あともう少しで、えらいね」から、生と死、人生や幸せなどの話題に。私が自分で自分を守れないことを一番心配しているらしい。

不在気味だった父が、いつも母から聞いて私の成長に参加していた。
だから、泣き虫の私、騙されやすい私、先生のいじめにあった私、反抗期の私、恋愛で傷づいた私も知っている。
父は自分のやり方で家族を守って、夢を追う私を最大限に応援している。

気が付くと、私が大人になった。多少頼りないところもあるし、まだ心配もされているが。
そして、登る速度は変わっていないけれど、どこか姿が小さくなった父。
本気で生と死を考えた。でも別れまでは考えられない。まだ逃げていたい自分がいる。
でも毎回、ぎこちない父のハグをしっかり受け止めるようにしている。

誰かの迷惑になるようなことをしていない限り、
他人の評価や目を気にせずに、
自分らしく、自分の幸せを求めていいよ、
私の幸せに誰かの許可もいらないよ。


高校三年生の時に父から言われた言葉。
そして去年帰った時にもまた言われた。

外で晩ご飯を食べる時だった。年が増えるにつれてよけいに涙もろくなった私は、一瞬にして目を潤ませてしまった。

「ありがとう、お父さん。」

世界が落ち着いて、今度帰られる時にまた一緒に山登りに行きたい。そして、この綺麗な鳥に会えたらいいな。



「每周末爬山的老爸」

煩惱標題,最後只好取了好直譯的名字。

昨天,家裡的LINE群組很難得出現了爸爸的訊息,打開一看,是爸爸在爬山途中發現一隻很特別的鳥兒,想要分享給我們看。
由於沒有人懂鳥的生態,話題就在「好漂亮喔」、「肚子顏色不一樣耶」、「我把尾巴看成是嘴」等留言中結束。沒有人深入研究鳥的種類。

看到這張照片時,心裡有種很放鬆的感覺,像是呼進了大自然的生氣。小時候每周末和爸爸去爬山的記憶也甦醒過來。

當時好期待每個周末可以去爬山。平日明明都會睡過頭,但爬山那天一定早早起床準備,興奮地和爸爸出門。大約爬一個半小時後會抵達休息區,我和爸爸都在那裡吃山腳下早餐店買來的饅頭加蛋,搭配好心人士設置在山中的免費冷飲,有時是麥茶有時是紅茶。山中吃的饅頭加蛋總覺得味道特別好吃。

吃完便一口氣攻頂。山頂上的景色開闊動人,空氣更清新。四周沒有遮蔽物,可以全身盡情享受徐徐微風迎來。
爸爸說這一刻最令人放鬆。當時還是小孩子的我並不懂放鬆的真正含意,直到人生經驗也累積一段時間的現在,才慢慢體會到爸爸的意思。
我們通常在中午左右回到家,沖完澡之後便是享用媽媽煮的美味中餐。

老實說,小時候對爸爸的回憶只有爬山這件事。工作繁忙的他,有時一整天也見不到面。所以翻開兒時照片,幾乎沒有和爸爸的合照。

幾年前返鄉的時候,心血來潮和爸爸去爬山。平常沒有運動習慣的我,步伐沉重,沒有小時候的輕盈。反觀爸爸,仍維持一貫的敏捷,在領先好多公尺時回頭望,便停下來等我,臉上沒有一絲不耐煩。也許是爸爸邊在玩寶可夢的緣故,聽說山中好多珍奇的角色。

同座山,同樣時間,同樣的早餐,同樣的休息。
山裡的空氣依舊清澈,來往的登山客也一樣親切說早安。

唯一改變的是,我和爸爸的對話內容。

從以前的「快到了喔」、「好棒」,轉變成現實的生死、人生幸福等話題。爸爸似乎擔心我沒有辦法好好保護自己。

爸爸雖然很少出席我的童年,但他從媽媽那裡聽了我一路的成長。所以爸爸知道愛哭的我、容易被騙的我、曾被老師欺負的我、反抗期中的我、在感情中受傷的我。他用了自己的方式在守護這個家,以及支持我的夢。

不知不覺中,我長大了,雖然還不是很可靠,也還讓人擔心。而爸爸,雖然步伐仍穩健,但總覺得他的身影變小了。
我開始認真思考生與死的問題,雖然想逃避的我還沒有準備好面對離別,可是爸爸每次彆扭的擁抱我都好好收下珍藏。

「我們沒有做任何傷天害理的事的話,不需要在意別人怎麼說,做自己就好。我們的幸福關他們什麼事!」


這是高三時爸爸跟我說的話,在去年回家時他又說了一次。

當時我們在外面吃晚餐。本來就愛哭的我,隨著年齡漸增淚腺越發達,聽後不禁濕了眼眶。

「謝謝爸爸。」

等騷動平息後,我們再一起去爬山,希望可以遇見照片中那漂亮的鳥兒。

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