ANCIENT PATH 古道


大学の図書館
森の中の一本道を描いた、額に入った絵が
階段の踊り場に飾ってある

小さい時から異世界・異空間に魅かれてしまう私は
この絵に一目ぼれだった

その後まもなく
恒川光太郎の「風の古道」を読んだ
すっかり古道の世界に心酔し
前よりも頻繁に図書館に行くようになり
その絵をできるだけ自分の目に焼き付けようとした
知っている
卒業したらもうなかなかこの絵を見る機会がないことを

ここ数日久しぶりに本を読み直した
正直物語の展開はほぼ忘れていたが
季節と関係なく
行間から
古道の寂びれた雰囲気が滲んできた時に
一種の安心感を味わった
変わらない憧れが自分の中にあるから

変身願望のある人なら
きっと私の気持ちが分かるはずだ

ここでさらにもっと小さい時に読んだホラー漫画を思い出した
実世界より
悪魔と一緒に時間が止まった世界で二人きりで暮らすことに決めた女の子
物語は二人が眺めた深閑とした広い森の景色で終わった
名状しがたい不安と恐怖は
子供心を揺さぶった

私だったらどっちを選ぶのか

意味がない質問で悩んできた
大人になって
古道の絵を見て
古道の小説を読んで
同じ質問がまた甦った
たえず自分の中で声を出している

けれど
違う視点で考えてみると
私は自由や放浪などの言葉に触れるたび
心の琴線が動くのは
きっと
今動けない自分を嘆いているからだ
持っていないものを欲しがるからだ

ただ
事実はどうだろう?

動けないのではなく
動けないと思い込んでいるだけなんだ

必要かどうかを考えたこともなく
持っていたほうが何かと便利と思い込んだだけだった

比較や嫉妬、世間の物差しで
自分の価値を下げてきた
移動できるのは
頭の中の世界しかないといつしか思うようになった
そこで休んで傷を癒している

今も想像空想妄想が好きだけど
現実を突き動かすエネルギーにそろそろ変換していきたいよね

だって
現実は小説よりも奇なりだもん

本当に、本当に
進みたい「道」は何?
見たい風景は何?
仲間とどういう距離感で関係を築きたいのか?

時に四つ辻で
ただそよ風に導かれて
進めるところまで進んでみたくなる

どの決定も
「悪い」は存在しない

道は交差し、分岐し続ける。一つを選べば他の風景を見ることは叶わない。
「風の古道」より





「風の古道」に寄せて



「古道」

大學圖書館內
在樓梯平台的牆壁上
掛著一幅巨大的畫作
描繪森林裡的一條小徑

從小就喜愛異世界‧異空間的我
第一眼就愛上這幅畫

在那不久後讀到恒川光太郎的「風之古道」
更心馳於古道中的世界
我常跑圖書館
希望能將那幅畫的景色深深烙印在眼底
因為我知道
畢業之後將很難再有機會看到它了

這幾天重讀「風之古道」
老實說我忘了大部分的劇情
但是隨著翻頁
字裡行間漸滲透著古道那不分季節的特殊蕭寂氛圍
憧憬再度襲來
一股安心感油然而生

潛意識裡有著變身願望的人一定明白我在說什麼

我又想起小時候看過的一部恐怖漫畫
比起現實世界
小女孩選擇和惡魔一起住在時間靜止的空間
最後一幕停在兩人眺望眼前沉默無垠的樹海
無可名狀的不安及恐懼撼動了我

換作是我,會選擇哪一邊?

這個無意義的問題困擾著我
直到成人
直到我看見古道那幅圖
讀到古道這篇小說
這問題依舊繚繞在我腦海中

但是,換個角度想
每當心頭因看見「自由」、「漂浪」等詞而漾起漣漪時
或許是因為現實生活中的我感到窒息
彷彿身在囹圄般動彈不得
嚮往著自身所缺乏的東西

實際上是如何呢?

囹圄只是我想像出來的狀態
嚮往只是某種便宜行事的慣性舉動罷了

比較、忌妒、世間的標準等不停灌輸洗腦
貶低了自身的價值
曾幾何時
我認為能自由翱翔的
只有腦中世界
盡情在那療傷養息

我還是喜歡空想妄想幻想
但差不多該把從中補充到的力量運用在現實生活中
改變
只需要一些契機及行動

畢竟
現實總是比小說來得更加曲折離奇

那麼
我想走的道路是什麼?
我想看什麼樣的風景?
我想跟同伴維持什麼樣的距離?

當身處在一個十字路口時
偶爾
我想隨著風兒指引前進
看看路的盡頭是什麼

不管哪個方向
都不存在「錯誤」

古道依舊縱橫交錯、歧路重重。只要選擇其中一條,便無法看見其他景色。
摘自「風の古道」


寫於「風之古道」讀後

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